公明党松戸市議会議員
あしだ 満春

普遍性と土俗性

2026.01.05

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私として今年ひとつのテーマに取り組んでいきたいと思っています。
それは「普遍性の時代へ!」ということです。

2025年3月に大学を卒業しましたが、履修した科目にひとつ「歴史」。授業の冒頭、歴史はダイナミックなバイオリズムがある。との話しを伺いました。

それは普遍性と土俗性。
普遍性とは外へとつながる、今でいう包摂社会、共生社会など。
土俗性とは内へ内へと、日本の文化を守るなど。

どちらがよくて、どちらがわるいとかではなく、近代史はある一定の周期で普遍性と土俗性の波があるとの考え方を歴史授業の冒頭の話しでした。

1868年明治維新。
ここを基点して以後20年間は普遍性の時代。

1889年大日本帝国憲法発布
ここを基点として以後20年間は土俗性の時代。

1910年前後から大正デモクラシーに。
普遍性の時代です。

1927年1928年。
山東出兵、治安維持法改正。
このあたりから土俗性に向かいます。

1947年。
日本国憲法が施行。
普遍性の時代に入ります。

このように20年を周期とする歴史の振幅性があるとの考え方を大学授業で聞きました。
当然、歴史学者によって様々な説・学説があると思います。
そのうえで私としてはこの説を自身の羅針盤のひとつしたいと思っています。

ではこの振幅でいうと今年2026年はどの時代なのか?
まもなく土俗性の時代を終え、2028年~2030年あたりから普遍性へと向かう基点になる頃です。

私は包摂社会・共存社会を目指す者のひとりです。
ひとは互いに助け合って社会生活を営むことが肝要と考えます。

そのうえで昨年2025年参院選は私にとって衝撃でした。
土俗性から普遍性に向かうどころか土俗性のピークなのではないかと思うほどの選挙結果だったからです。

日本人ファーストという言葉が多くのひとを引きつけたこともしかり。
新政権のもと非核3原則についての発言もしかり。
防衛装備品の輸出5類型の撤廃の検討もそうです。

土俗性の時代のなかにあっても堅持してきた包摂社会の萌芽。
これらがやぶられそうなほどです。

昨年1年を通して感じたことがあります。
それは土俗性・普遍性の波といっても座して待っていたのでは普遍性の時代はこないのではないかということです。

先ほど申し上げたとおり私は包摂・共存・共生社会を望むものです。
つまり普遍性の時代をつくりたいと願うものです。

では私なりに普遍性の時代を目指すのであれば何をどうしたらいいのか。
それは、なぜ包摂社会が必要なのか。なぜ共存社会が必要なのか。
そのことを訴えるだけに終わらせず、実際の生活で潤いが生まれたと実感していただく。
現実に社会を発展させていく。
それを事実のうえで制度にしていく。

それが私の目指すところです。

私も公明党の一員として中道改革勢力の軸になり得る一年としていきたいと思います。