プロフィールPROFILE

家族構成
妻、長男の3人家族
略 歴
1997年 千葉県立柏南高校卒業
高校卒業後25年間民間で従事
2022年 松戸市議会議員初当選
2025年 創価大学法学部(通信教育)卒業
資 格
防災士
小型船舶免許2級
趣 味
サーフィン(ロングボード)
ストリートダンス(ハウス)
座右の銘
艱難に勝る教育なし
あしだヒストリー
ギャンブルばかりの父を持ち、貧しいながらも明るく頼りになる母と姉、2人の兄に見守られ育ちました。
高校卒業後は父を更生したいとの思いから借金の返済を引き受け、昼間は正社員として働き、夜間休日は別のバイトをかけもち返済をしていきました。
でも一つ問題が!
それは借金返済のことを母や姉、兄に相談せず行っていたのです。
始めは勢いで何とかやっていましたが、徐々に孤独になり、疲れてしまったのです。
幸いにも、
私の周りには、私のことを心配してくれる方がいっぱいいました。
自らが大病を患っているにもかかわらず、深夜に帰宅する私を激励してくれた先輩。
いつも笑顔で接してくれる近所のご婦人方。
多くの善意に囲まれ、生きる力を取り戻しました。
この経験によって、次は私が社会のなかで人を励ますことのできる人間になろうと誓いました。
父の更生は、父が亡くなるまで簡単なことではありませんでした。
でも今では父に感謝をしています。
なぜなら、最も大変な環境にいる人の気持ちをわかろうとする自分になれたからです。
人は本当に大変なとき、なかなか自分から相談することはできません。
誰かが寄り添うからこそ、相談することができるのです。
政治に必要なのは、そのことではないでしょうか。
1979年3月
4人兄弟の末っ子として生まれました。
姉や2人の兄からマスコットのように可愛がられたようです…

EP1.兄弟4人でなんでも1/4ずつ...
一番上の姉とは7つ離れています。それから順に長兄、次兄そして私。
幼いころからずっと可愛がられていました。
今でも記憶にあるのは兄弟4人で何でも1/4にわけて食べることです。
父はギャンブルばかりだったので家計はいつも厳しかったのだと思います。
そのなかでも明るい笑顔の母のおかげで暗い気配などみじんもみせず育ちました。
たまに食べれられるカッパえびせんを兄弟で1/4にして食べました。
食パンも1/4。納豆も1/4。兄弟で楽しくご飯を食べることができました。
1/4で感じていたこと。
それは体の大きさに関わらず公平であったこと。
兄姉からは一つの人格として認められていたことが嬉しかったのだと思います。
生い立ち
1983年
五香幼稚園 ヒーロー戦隊になりきる幼稚園児

EP2.常盤平団地ですくすくと
高度経済成長期、国内では都市部に人口が集中し住宅環境が悪化しました。
そんななか1960年代「憧れの団地」として常盤平団地が誕生。
わが家は1970年の後半に東京都足立区から移り住んだようです。
なので姉と二人の兄は東京生まれ松戸育ち。
家族では私だけが松戸生まれ松戸育ち。
日当たりのいい団地で、当時たくさんいたこどもたちと一緒に遊びました。
隣近所に住む人たちとはほとんど顔なじみ。
親が不在のときも隣の家をわが家のように行き来していました。
このころはきっと地域で子どもを育てるという意識が強かったのだと思います。
1991年
常盤平第二小学校卒業
活発に遊びまわる小学生でした…

EP3.実は団地だけではなかった常盤平…
私が小学生のころ常盤平の住民は団地だけではなく、企業の社宅がたくさんありました。
私の記憶にあるものでも紡績企業の社宅、貿易会社の社宅、農器具メーカーの社宅、銀行の社宅など様々な企業の社宅が並んでいました。
だから団地の子どもと社宅の子どもで街は賑わっていたのです。
盆踊りや地域の運動会だけではありません。
日本の道100選にもなっている常盤平さくら通りの「さくらまつり」は街を代表する大きなイベントでした。
1994年3月
金ヶ作中学校卒業
中学時代はバスケ部に所属。
周りが見えなくなるほど部活に夢中。
部活引退後は時間を取り返すように勉強。
無事卒業できました。

1997年3月
県立柏南高校卒業
高校時代はストリートカルチャーに夢中。
なかでもダンスが一番肌に合いました。
ラジカセ持って音楽流せば初対面の人とも交流。
他校であっても、世代が違くても、人種や差異を超えて多くの仲間ができました。

1997年4月
地元企業に就職
社会人としてのいろはを教わりました。

1999年4月
創価大学通信教育学部に入学
やはり大学の勉強をしたく正社員として働きながら通信制の大学で学び始めました。

EP4.ところが理想と現実は違い…
希望に燃えて通信制の大学に入学したいいものの、社会にでて1年・2年の私が正社員としての仕事と勉強を両立できるほど現実は甘いものではありませんでした。
残業して仕事をするなかで勉強がはかどりませんでした。
そこに加え、父はギャンブルで借金し家計を圧迫します。
私は、家計を支えようと正社員としての仕事しながらアルバイトを何個も掛け持ちするようになりました。
2002年〜
2006年
運送業へ!トラック運転手を5年勤務
家計を助けるため本格的に借金返済に取り組みます。
出費のかかる通信制の大学もやむなく断念…
仕事も運送業1本に絞りました。
早朝3時に起きて荷物を運ぶこともありました。
昼から動いて深夜まで荷物を運ぶこともありました。
またこの時期、たくさんのボランティア活動に従事しました。
寝食を忘れながら、とにかく必死の活動です…
だからこそ、この時期に自身のアイデンティティが養われたと感じています。
2006年12月
ライフサイエンス業界に転職
温度管理を専門分野として、製薬企業・大学・官庁の研究機関で先端研究をサポート。
創薬、難病治療、公衆衛生の分野で奔走しました。
16年勤めたこの会社では、よき先輩、よき仲間に恵まれたことが誇りです。
仕事を通じて社会で貢献することの歓びを知ることができました。

人生の転機となる出来事…
ライフサイエンス業界で従事するなかで私にとって転機となる出来事がありました。
当時、IPS細胞の発見により山中教授がノーベル生理学賞を受賞。
IPS細胞によって医療の発展が期待されました。
ところが国内ではIPS細胞を活用した医療を行うため法整備ができていませんでした。
そこで関係する省庁が主導しタスクフォースを設置。
私もそのなかのワーキンググループの一員として会合に出席する機会を得たのです。
大学教授、産業界のエキスパート、官僚などの各界スペシャリストの意見交換の場は私にとって大きな衝撃でした。
私自身が今よりもっと力をつけなければならないと痛感しました。
かつて挫折した大学での勉強が頭をよぎりました。
もう一度勉強をしたい。
基礎から学びたい。
力をつけたい。
社会の役に立ちたい。
そんな思いがどんどん強くなっていくのです…
2017年4月
創価大学法学部(通信教育)再入学
2017年に再び大学の門をくぐりました。
20歳のときの私は働きながらの勉強を行う余裕はありませんでした。
が、
今回の2度目は違いました。
学んだことがそのまま社会の役に立つというということが私にとって楽しみであり喜びでした。
働きながら学ぶことは即社会の利益につながることを実感。
だからこそ「何のために学ぶのか」自身に問いかけるようになります。

2022年11月
松戸市議会選挙
これまで勤めていたライフサイエンス業界の仕事を退職し、市民の声を、住民の声を、小さな声を政策に反映させたいとの思いから市議選に挑戦しました。
その結果、皆さまからのご支援によって初当選することができました。
ここからがスタートです。
政策実現でもってお応えします!
どうかこれからも皆さまの声をお聴かせください!

